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『穴』24.9.3

 熱帯夜に布団に包まれているような心地で瞼を開けた。どうやら汗をかいているらしい。そして香ばしいような匂いがし、辺りを見渡す。薄暗く、両腕を広げた分くらいの広さしかないそこは、土でできていた。土中の水分が染み出しているのか、どこも湿っている。ずっと体育座りしていたらしく、ズボンの尻部分がじんわり濡れてしまっており気持ち悪い。
 立ち上がり、首を傾け視線を上にやる。土の壁が真っ直ぐ上に伸びており、その先の丸い穴からどこまでも遠い青に白が少しだけ飛び散っているのが見えた。空と壁しか視界に入らないため、ここがどこなのか分からない。
「ぉ……おーーーい……誰か…いませんかー?」
 私の声は途切れ途切れだった。思っているより長く眠っていた、或いは気を失っていたのだろうか。喉が張りつき、少し水が飲みたかった。
 耳を澄ませてもこだますら返ってこない。ただ木の葉の擦れ合う音、風の行き交う音のみが鼓膜に届く。ここは森か山中なのだろうか?それなら獣がいるかもしれないと身構えるも、それらしい足音や唸り声などは今のところ聞こえてこない。
 固くなった体を少しだけ和らげ、自分はどうして今ここにいて、その前は何をしようとしていたのか思考を巡らせるも、頭の中は散らかったミルクパズルのようだった。日光も余り差さないためひんやりとして、脳が冷える感覚になる。
 ズボンのポケットに何か入っていないかと探ってみるも、鼻をかんだティッシュくらいしか出て来ず、苛ついてその辺にぶん投げた。
 先程見上げたところ、この縦穴の深さはそこまで無いように思う。光が入ってくる程度には浅く、かと言って簡単に出られそうな程ではない。登ってみることはできないかと土にそっと手を当ててみると、爪の間に土が入り込み気持ち悪い。ひんやりした壁は無常にもボロボロと崩れてしまい、これでは到底手をかけ足をかけ登ることは不可能そうだ。
 もしかして私、このまま死ぬのかな?お腹が空いたら、トイレはどうすればいいの?餓死とか一番苦しそうで、私のしたかった死に方じゃないとキレそうになる。何で私がこんな目に遭うんだよ!!!

 あれから、壁を横に掘って出られないかなとか、誰かが上を通りかかるよう必死で祈ったりしたが、下手に壁をいじって崩れてきた土で生き埋めなんてごめんだし、誰一人、獣さえも近付いてくる気配が無く、足りない頭で思い付くことなんてこの程度かと自分に失望した。
 やがて日が暮れてきて、いよいよもう何ともならないから諦めて寝るかと思い、嫌々地面にしゃがみ込み目を閉じる。しかし一向に眠気はやって来ない。異常事態で脳が活性化してるのだろうか。そのまま太陽が登ってくるまで、私は立ったりしゃがんだりを繰り返しながら目を閉じるだけで一睡もできなかった。

 光を感じ、瞼を開ける。眠れなかった分、昨日の続きという感覚が強い。それと、昨日は気付かなかったが、水も食べ物も飲まないのに空腹や渇きを感じない。これも、自律神経がどうたらいうせいなのだろうか?分からないが、いつまでもこのままでいられる筈がなく、焦りだけが胸に残る。かと言ってできることもありはせず、体力を無駄にするのも不安で、ただじっとしている。
 上では相変わらず絵画のような青空と、木の揺れる音がする。それだけ見れば素晴らしいことなのに、今の私の置かれた状況はまさにズンドコ…いやドン底。きよしじゃないよ。こんなこと考えてる場合でも無いよ。助けて!!!
 意味も無く狭い穴の中をブラブラ歩いたり、体操したり手遊びして気を紛らわせた。

 ぼんやりとしか数えていないけど、恐らく最初に意識が戻ってから数日経ち分かったことがある。何故だかは分からないが、ここでは睡眠も食事もトイレも必要無いのらしかった。餓死せず済むのは良かったのかもしれないが、眠れないのは本当に辛い。昼間はまだしも、夜になってもずっと目を開けても閉じても真っ暗な中意識が保たれ続け、思考が途切れてくれないのは、特に私のような常に脳ミソが余計なことばかり高速回転してるたちの者にとってはそれこそ死んでしまうのではないかと思ってしまう。
 せめて土で泥団子でも作るかと思うも、破傷風にでもなったらと思うと無闇に土に触る気にもなれない。
 ここの外はどんな風なんだろう。きっとあんなに空が綺麗なんだから、緑が茂り小鳥や動物がいたりするのかな。小川とかもあって、綺麗な小魚とか泳いでたり…とにかく、こんな穴の中よりずっと素晴らしいに違いないということだけは確信できる。決して手が届かない理想郷。それを空想することだけが私の生きる糧になっていった。

 ある日、どれだけ太陽が巡ったか分からないとき、ふと目の前で何かがキラッと反射した。何だろうと朦朧とする脳を頑張って起こし、目をこじ開ければ、それは一本の細い糸であった。透明でキラキラとしており、綺麗だ。上から垂れてきているようで、視線で辿っていくと、空の方から伸びてきているようだった。少しずつ垂らされる糸。
 藁にも縋る思いで(この場合「糸にも縋る」だとは思うが)、けど千切れないようそっと触れてみれば案外丈夫で、私は何とか結び目を何箇所か作り、足や手の取っ掛かりになるようにし、これを登ろうと決めた。例え落ちて死んでも永遠に空を見上げ続ける日々よりずっと良い。いや怪我して死ねないのが一番辛いけど、それは考えないことにした。こんなチャンス逃す訳にはいかない。
 足と手を結び目にかけ、しがみついたところで糸は一人でに上に登っていった。さながらエレベーターのようにスルスルと動く糸に、私は落とされないよう満身の力を込める。怖くて目を閉じてしまう。瞼にも力がこもる。手が痛くなってきた頃、ストンと靴裏に地面の感覚がもたらされる。
「やった……!」
 念願の外!

 瞼を開くと、そこには何も無かった。
 というより、全ては偽物だったと気付かされた。遠く広い空だと思っていたのは天井の板にスクリーンか何かで投影され、合成された青色だったし、遠い地平線は緑のグリッドに沿い引かれているだけ。木の葉や風、鳥の鳴き声は穴の近くに置かれたスピーカーから鳴っていただけ。
 私が「世界」だと感じていたものは何一つ存在せず、どこまで行っても私一人がいるだけだった。初めからそうだったのだ。

 私は再び空から垂らされた糸を辿り、穴へと戻る。
 ここには何も無いことなど知りたくなかった。
 湿った地面に座り込み、目を閉じる。どれだけ待ち望んでも得られなかったのに、今になりやっと睡魔が訪れ、私を安楽へと誘ってくれた。

 

 


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 熱帯夜に布団に包まれているような心地で瞼を開けた。どうやら汗をかいているらしい。そして香ばしいような匂いがし、辺りを見渡す。薄暗く、両腕を広げた分くらいの広さしかないそこは、土でできていた。土中の水分が染み出しているのか、どこも湿っている。ずっと体育座りしていたらしく、ズボンの尻部分がじんわり濡れてしまっており気持ち悪い。
 立ち上がり、首を傾け視線を上にやる。土の壁が真っ直ぐ上に伸びており、その先の丸い穴からどこまでも遠い青に白が少しだけ飛び散っているのが見えた。空と壁しか視界に入らないため、ここがどこなのか分からない。

「ぉ……おーーーい……誰か…いませんかー?」

 

 私の声だけが響いた。

 

 

☆END★

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こちらの曲のイメージを少し参考にしています。素敵な曲です。

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