≪選択的幸福≫ 21.3.1 「あのねのね」の初期ver.こっちのが短い
身体が自由になり、枕木に吸い付けられる。
腹が右から左へ千切り裂かれるのが分かった。
♢♢♢
白い蛍光灯を反射するワックス掛けの床。商品の陳列された棚が図書館のように並ぶ。
隣を見ると英字ビスケット、チョコがけナッツ、マシュマロと安っぽいスナックが置かれている。
にんにくチューブってどこだろう、店によって位置が変わるからフラフラ徘徊する。卵や野菜は大体入口の近くだし。
平日の夕方は客が多い。床や壁はてらてらと白く光り、非現実を思わせた。無限に置かれる商品は際限無く視界に入り込み、脳は車酔いやめまいに近い雰囲気をもつ。
レジで並んでいると、後ろにたくさん他の人も連なる。店員のおそらく感じてる焦りと、待ってる人達の存在が私を浮き上がらせ、なぜかとても注目されている気になり、じっと立っているのが苦痛になる。
早く、早く自分の番が終わらないか。
ふと意識が削がれ遠くなり、あれ、そういえばどうしてここに立ってるのだろう。手にカゴの重さがあり、ああ買い物に来たんだった……と思い出した。
外はいつも通り、薄曇りに虹がかかっている。スチームのように細かなシャワーが地面をスプリンクラーとして濡らす。
殆ど常に小雨だから傘なんかもう持ち歩かない。周囲の人たちもフードを被る人もいる、くらいで普通に歩いているし、鳩の群れも気にせず目を閉じたりパンを啄む。
ここへ住み始めたのは二ヶ月ほど前。最初は自分の住所も言えなかったが、次第に慣れてきたところ。引っ越しは初めてだから緊張した。
「こんにちは!」
通りすがりの穏やかに笑む知らないおばさんへぎこちなくアイサツを返す。
「こ、こんにちは。」
アパートへ帰ると天使がエントランスでチラシの束を抱え、こちらを見ると花を飛ばしうれしそうに近寄ってくる。
「あ!おかえりなさい!!あのこれ今度のイベントですよ〜ぜひご参加ください!!!」
押し出されるように受け取った紙には、今週末レクリエーションを含む食事会が開かれる、参加費無料奮ってご参加くださいというのと、このチラシは再生紙を使用していますと書いてある。触ると確かにザラつく。
まだ真ん前でニコニコを続ける天使に軽い会釈をし、行けたら行きますと実に日本人らしい返答をした。
バイトをし、買い物して帰って来ればヘトヘトだ。
スーパーの惣菜で働いているが、私は自分の働くとこで買い物をしたくないから別の店へ行く。家の近くに二つもスーパーがあり、助かる。
洗面所でコンタクトから眼鏡に戻し、すぐリビングのソファに座り込む。
バイトは朝8時ー12時の4時間だが立ちっぱなしだしずっと仕事があり、くたびれた。昔からずっとこうで、学校もバイトもそれひとつやれば他のことなど何一つ出来なくなった。
学校帰りに遊んだりバイトする同級を見ては超人と思ったものだ。
冷蔵庫から昨日作っておいた肉野菜てきとうにイタメターノをチンし、ごはんと交互に口へ運んでいると、耳につく音が響く。
スマホの画面は何か電話を知らせたが、慌ててウッカリ切ってしまった。
しまった誰からだろう掛け直さないと、とすぐFINEにメッセージが来ている。さっきの電話はFINEオーディオだったようだ。内容は、
「あさって出勤出来ますか?」
バイトの先輩からだった。
先ほど電話切ってしまいごめんなさい、出勤可能ですと送ると、気にしなくていいよ、明後日よろしくお願いします!と返ってきた。
バイト先は親や祖母ほど歳上の女性ばかりだったが皆親切だ。
間違ったときは注意されるが優しいし、聞けば何でも教えてくれる。
とても安定した暮らし。
恐しいほど。
〜
人がトレーに入ったイクラのようにあっちにもこっちにもどこでも視界に入ってくる。
どうすべきか分からず迷っていると、少し歳上のサラリーマンのような真面目そうな男性が声を掛けた。
「これ、どうぞ」
差し出された皿には既に盛り付けられており、一口パンと四角いでかいバターにはちみつ、なんか美味そうな白いソースの掛かったソーセージみたいなやつ、サラダが丁寧に鎮座していた。
「あ、ありがとうございます」
カトラリーも受け取り、どこで食べようかキョロキョロすると、私のみぞおちくらいの背丈の女の子が「あそこ空いてるよ」とニッコリ教えてくれた。
どうもありがとう、とテンパりつつ小さな丸いテーブルに着く。
今日は例の『食事会』で、本当は来る気など無かったのだが外出しようとしたときこないだと別の天使に捕まり、あれ?!まだ行ってなかったんですか、もうはじまっちゃいますよいそぎましょう!!!!と引っ張ってこられたのだった。
ちょっと落ち着いてみると、天使混じりの演奏者たちが緩やかな水の流れに似た音を会場に満ちさせ、料理のいい匂いがいっぱいに広がる。集まった人たちは楽しげに談笑し、温かな光に溢れている。
一口ソーセージを含むと、おいしい!と小声で言ってしまうくらい満足だった。スゴク単純だから、やっぱり来て良かったかもとか思う。
案外お腹が空いてたらしく、バクバクと平らげ、ケーキも取ってこよう!と立ち上がると、生成りの上品な植物模様の壁と曲線をつくるライトが白く広がり、テーブルの上の料理たちや椅子、カーテンも沢山の人も切り離されたようになる。またこれか。
何かが違う。
何で私はここにいるんだろう、別のどこかにいた気がするのに思い出せなかった。
ここに居てもいいのかが分からないどうしても。
〜
帰宅してみるとポストに封筒が入っている。またDMかと思ったら、なんだかものものしく「親展」『重要書類』と赤いハンコがしてある。なんだろう犯罪でも犯したのかしらとリビングで開けてみると、
『居住区斡旋時の不手際へのお詫び』
とある。なんのことかサッパリサラダどれっしんぐ頭の悪さを舐めるな。読み進む。
「居住区斡旋時に不手際が御座いました。
一◯五九番地と通知致しましたが、二五九番地の誤りだったことをここに謝罪致します。誠にごめいわくをうんぬん。」
というような内容だ(と思う)。つまり、最初に割り振られた住所が間違いってこと?
ここに来る前のことをあまり思い出せない。昔からずっと記憶力は死んでたから気にしてなかったけど、そういえばどうやって来たんだったか。一人で決めたんだっけ?
分からない………。
♢♢♢
草は蛍光のように目に痛い程鮮やかに生い茂り、木は葉を富豪のように蓄えている。
空は真っ黒い程の澄み切った青で、爽やかな白が絵の具を擦り伸ばしたようにアクセントをつける。
引き攣れた住宅街の小さな公園には二人用ブランコ、小さな砂場、滑り台、なんか乗ってビヨンビヨンして遊ぶドーブツのアレ×2、丸い回転するジャングルジムがあったが、誰もいない。
ブランコでも乗ってやろうかと思ったが、紫外線照射そーちLvで照りつけてくる光線に気後れし、やめた。
どこまでも明瞭な輪郭を浮かび上がらす白い光は、でも暑くはなかった。寧ろ肌寒いような。へんな感じだ。
寒いのに世界をギリギリと切り出し、ステンドグラスのようにパッキリ濃い影を落とすのだった。
そこらをブラブラする。あそこに見えるマンション、きっとあれは際限のない遠さだと思い、歩いてゆこうとするのだが、あるとこまで来ると見えない壁があり進めなくなってしまう。ゲームとかでこういうのよく見たことある。
そして、ここには誰も、自分しかいない。行きも今も、一度も、動物すら見掛けないのだった。
諦め、家へ帰ることにした。
赤茶のレンガ造り、二階建ての一軒家のブ厚い木製の扉を開ける。ここでの!Myhouse!だ(意味不無駄表記)。
玄関を入ると二階まで吹き抜けになっており、正面に階段がある。
一人なのにこんなに広くてどうする、前のとこはあんなに町中人だらけだったのに。もっとバランス考えて振り分けろよと思った。
炊飯釜に3合分、米をカップに計っていれる。ザザァーッ、ザザァーッと波に似た音と時々一粒二粒縁に当たり小さくキンと金属音がした。
途中ボーとして今何回目だっけとなりかけたが黄金の集中力で耐えたわよ!
しゃこしゃこ水を入れ研ぐ。
現実に自分が干渉してるのが不思議だった。
手を動かすと米が動くのが分からない、身体が思うように動くのも、他人が自分に話し掛けてくるのもわからない。そもそも他人から自分が見えてるのから分からないのだから救えない。
気付いたが、ここは夜が来ないようだ。一日(という概念があるか知らないが)中陽が照り完全な閉じられた時間を際立たせる。
無限に続く今日。毎日何一つ変わらないまま続いていく、終わりは永遠に来ない。
ここではすべて単なる物質で、物体は物体としてだけ存在し、それ以外の含みをもたない。
窓の外の閉じた時間を見つめつつ余り味のしない食事を摂った。
〜
あれから私は二択を迫られた。
このまま一◯五九番地に住み続けるか、二五九番地へ移るか。
本当は二五九へ移るべきなのだが、書類によれば
「こちら側のミスだしあなたは問題も起こしてないし、空きもあるから今のまま住み続けてもいいよ」
とのことだった。
どちらにしようかな神様の言うとおりいる人にはいるだろうが信じないから私には居ない。
悩み、取り敢えず役所へ相談に行った。戸籍住民課のメガネを掛けた白髪混じりのおじいさんは、それなら見学してみればいいかもね、それから決めても遅くないよと言ってくれた。そんな良い方法があるなら早く言ってくれよと思ったが、そうしますーと書類にサインだけした。
一ヶ月程度お試しで住んでみて決めてと言われたが、若い役所の職員の男性は、こんなこと言うのアレだけど、でもここに一度住んだらあっちに移りたいとは思えないと思いますけど、と何かおかしげに言う。
そうなんですかと尋ねると、やはり口角を上げながら舌を回す。
「だって幸福を知ってしまったら手放せないでしょ?」
帰っていらっしゃると思いますけど、その時はまたよろしく、とまた軽く笑みながら言った。
〜
ここはスーパーにも誰もいないが品物は揃っていた。ホンモノなのに全て食品サンプルのようで、買う気が引けたが野菜や魚、肉をカゴに入れる。葉物はすぐ痛むのに特にモヤシ、でも腐ったりはしていない。不思議だ。
レジはどうしようと思うとオートで、金属板の台の上にカートを乗せると液晶に数字が出た。
あっ、お金……。
しかしちゃんと財布にはここでの通貨が入っていた。数えながら機械の穴に必死にお金を詰めている間も、気が狂いそうな現実味の無さと戦わねばならなかった。
自室で本を読んでいると、隣の部屋から音がした。自分を責められている気がした。部屋に一人でいると特に誰かに見られているという感覚を得たりした。いつも常にでは無いけど。
気を紛らわすためよく音楽をかけたが、TVは余り点けなかった。
ニュースは聞いたこともない県や地域の報道をしたり理屈の通らない内容も多く、でもまだマシだったが、バラエティでは見たことない芸能人が、綺麗だったり派手な服装、髪型や化粧をし、わけの分からない話題に大きな声で笑ったりするのがどうしても別世界のこととしか思えず、すぐ消してしまう。
3日目。リビングで朝昼ご飯していると、何か大きな空気の振動のようなものが近くであった。ビリビリして、なんだ、と思うとまたそれがくる。バクハツでもしたかと思ったが次は音だとわかる。
何かから大きなバリバリした音が出てる。空気も一層凍りつくように固まる。
長く続くソレに耐えていると、だんだん怒声であるらしいことも理解する。言語かすらも知らないが、とにかく不快とか怒りの破裂するビリビリした何かが自分に向けて一身に発されてるのだった。
圧に逃げ出すことも出来ず、ただマネキンのようにカラッポにしてやり過ごす。
このやり方も何だか馴染みがある気がするけど…。分からない。
今日はなんのゴミの日だっけ?
あれから何度も、リビングではしょっちゅう、自室にいてもあのビリビリを出す「何か」がやって来、私に悪意を吐き出す。
外へ出ても行くあてもない。出来ることもすることも無い。
ここへ来てからずっと何処へも行く場所など無かったのだという思いが離れない。外でも、家に居ても。何処へも辿り着けはしないのだということのみ理解した。昔もこうだった気がなんとなくするけど余り覚えていない。だけどもむこう、一◯五九番地では得られなかった『生きてる実感』があった。
全てのことは自分でなんとかしないといけないという心の底からの納得と、何処までも世界は平坦でアタマは冷え切り冴え渡って何処へ行こうかなと考えてる。
これがずっと欲しかった。
♢♢♢
前のとこ、一◯五九番地は市役所の彼の言うとおりスゴクいいとこだった。
ごはんは美味しいし、皆親切でやさしい。
自分が満たされていて余裕があるから他人にも分け与えられる。
いつも穏やかな薄曇りで虹がかかり、安心して安定しているみんな。毎日違う明日が来るけどきっとこのまま上手くいくと疑うことすら知らないような。自覚することすらない本当の幸せ。
だけど何故自分が二五九番地、地獄へ落とされたかはなんとなく分かった。
自殺したからじゃなく、「それを疑う」からだ。
人の親切を、『幸福な明日』を。
ずっと上手くいくと、皆がやさしくて良い人で親切であって、そしてそれが無くならないもので世界が安全だと思い込めるそれが理解出来ないから。し得ないから。なんならいっそ愚かしいと笑うから。
私があんなところに住めるわけがなかった。
♢♢♢
ここへ来てまだ10日目だが、こっちのが昔居たとこと似てて住みやすいから引っ越すことにした。
向こうの職員の方にはご親切に引き止められたが、今ではあちらの方がかえって吐きそうだったから、もう戻ることも無いだろう。
私が居なくとも向こうの幸福な生活に変わりはない。
もう既に一◯五九番地での素晴らしかったハズの暮らしを忘れつつある。どんなものだったのか今では遠い過去のものだし、二度とあそこには戻れない。だけど愛しいとは別に思わない。
脳はヒビ割れ世界は鮮やか過ぎ引き攣れガビガビだけど、慣れてるし普通に暮らしてけるから大丈夫。
元気にしてるよ。
終